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2010年04月 02日07時30分
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知覧銘茶.com 担当の うえっぶ松(webmatu)といいます。! 
本日もどうぞ宜しくお願いいたします。

それでは、前回「茶と禅」についての話しをしましたが、今回も"うえっぶ松"が
あなたへお伝えする「茶と禅の」続編です。

あらゆる苦行をしたにもかかわらず、苦行を捨ててたった七日間で悟りを得たブ
ッダ(釈迦)でしたが、当時の釈迦に近い王様たちまでが次々に帰依しました。

当時のマガタ国王・コーサラ国王が王族や家臣たちを従えてブッダに帰依したと
いう評判はたちまちに広がり、ブッダ父親のスッドーダナ王の耳にも入り、我が

息子の偵察の為に9人の使者を送ったのですが、9人ともみなブッダのもとで出
家してしまったそうです。やっと10人目の使者の説得で父親の所にかえってき

ますが、父親(スッドーダナ王)までが帰依し、一族(サーキャ族)からブッダが悟
りを開いた事に対して、誇りを持ちました。サーキャ族からは実の息子例のラー

フラをはじめ、従兄弟のアーナンダや理髪師のウパリなどのちの十代弟子となる
ひとなど500人以上のサーキャ族が出家したそうです。

そうです、出家です。出家とは今までの職や階級を放棄して坊さんになるのです
から、スッドーダナ王のサーキャ族は息子やブッダに近い身内の人々が王族から

離れていったことになります。一大ムーブメントになっている訳ですね。でも
残された、家族とかは大変だったのではなかったかと想像できます。

理髪師のウパリなのですが、ブッダに近い身内の人々が6人の青年たち出家した
ときの付き添いをめいじられたのですが、当時のカースト制度の中でも最下層の

奴隷の身分だったのですが、付き添いの際に6人が僧になるために途中で衣を着
替えて身に着けていたを付き添いのお礼としてウパリに渡したのですが、ウパリ

はその装飾品を持って帰ったら殺されてしまうと考えて、自分も出家しようとそ
の6人の青年たちの後を追ってブッダに帰依しました。ブッダは階級にかかわら

ず人は平等だといっているのをきいていたからでした。結局7人がブッダの元で
出家しますが、一番早く悟りを得たのはウパリでその6人もそれを喜んだといい
ます。

ウパリは戒律に精通し様々な事件を解決し、ブッダの十大弟子一人となりました。
重要な事は、あらゆる苦行を捨てたブッダの教えに帰依した人々の中で早い人は

は7日から10日でブッダの教えたとおりにやれば、悟りを開く事ができた点で
す。三蔵法師や達磨さんや他の有名な僧侶たちが、日本に仏教を伝えてきました

が、その伝わる過程でインド語から中国語になり、日本に着いた頃には漢字の羅
列でして、お葬式の時に読むお坊さんのお経が非常に良い例で、ほとんど、わた

しには意味がわかりません。今わからないのですから、多分、死んでもわからな
いと自負しています。

私も努力して漢字の羅列でも、単語の意味を理解しようとはおもいますが、あな
たは、意味がお分かり?

 次回どっとこむ通信もよろしく...........。それでは........また.......
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