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鹿児島生まれの「べにふうき茶」
べにふうき茶に豊富に含まれている抗アレルギー成分(ヒスタミン 遊離抑制作用成分)のメチル化カテキン【エピガロカテキン-3-ο-(3-ο-メチル)ガレート】 が、花粉症等アレルギー予防効果があると言われます。
紅茶に大久保利通が関係していたなんて、知りませんでした。 
日本のお茶産業は安政6年(1859)に横浜港が開港され、緑茶が輸出されたことに始まります。開港直後、緑茶は生糸と並び最も重要な輸出品でした。薩摩藩出身の大久保利通は、明治政府内の内務省勧業寮農務課に製茶掛を設置しました。  
しかし、緑茶の嗜好はアメリカだけで、イギリスをはじめとするヨーロッパの主流は紅茶だったため、大久保は本格的に紅茶生産に取り組む施策を打ち出したのです。  
実は薩摩にもう一人、紅茶と深いかかわりをもつ人物がいます。それは幕末から明治維新にかけて活躍した実業家・五代友厚です。長崎海軍伝習所で学び、文久2年(1862)、藩命で上海に渡った五代は、ここで茶、とくに紅茶が高値で取引されていることを知りました。
元治元年(1864)、五代は藩にイギリスへの留学生派遣を建言、その経費は薩摩藩で紅茶を生産し上海で売りさばいて捻出するように提案しています。
隣町枕崎ではそういえば、昔から紅茶が栽培されています。
 明治9年(1876)、明治政府は静岡で茶園の開墾を手掛けていた多田元吉、日本近代化の礎となった集成館事業に携わった石河確太朗ら3人インドに派遣。
2年後、鹿児島をはじめとする九州、四国などに伝習所を設け、紅茶の普及を図りながら、イギリスやオランダなど海外への輸出を果たしました。明治期から盛んに栽培されるようになった紅茶。
中でも、伝習所のあった鹿児島県枕崎市は、昭和30年(1955)以降に生産が急増。多いときには国内生産量の5割を誇るまでになりました。さらに、昭和43年から45年には「全国茶品評会」紅茶の部で「産地賞」を連続受賞し、「枕崎紅茶」の名を全国にとどろかせました。
しかし、昭和46年(1971)、紅茶の輸入自由化の波におされ、紅茶生産は衰退の一途をたどって行きました。
「松崎製茶」のオリジナル紅富貴  メチル化カテキンを多く含むべにふうき茶
そんな状況の中、海外で高い評価を得ている日本紅茶を残すため、優良系統品種の中から選別し、平成5年(1993)に発表されたのが“べにふうき”です。
枕崎市の「九州農業試験場茶業部(現・独立行政法人 農業・食品産業技術総合研究機構 野菜茶業研究所)」で育成された“べにふうき”は、国産紅茶『べにほまれ』と中国系『ダージリン』の交配品種。もともとはまろやかで香り高い紅茶ですが、緑茶に加工すると独特の渋みを持つお茶に仕上がります。
最近の研究で、この渋みの中にメチル化カテキンを多く含むことが分かり、一躍注目を集めています。  
枕崎市では紅茶製造に携わった技術者が集まって研究会を設立、「枕崎紅茶」の復活を図るために奮闘しています。
当店の『べにふうき茶』は、枕崎隣接する川辺の勝目に栽培されている自園のお茶です。茶葉が大きく、見た目は番茶みたいに、茶葉が大きいのが特徴ですが、当店では敢えて粉末にはせず、そのままの状態で、販売しております。
 〈参考文献〉 『薩藩海軍史』 『薩摩人とヨーロッパ』(芳即正著、著作社) 『茶の世界史』(角山栄著、中公新書)